first visit of the year to a shrine
初詣とは、その名の通り、新年になって初めて社寺にお参りすることで、その社寺の神仏に旧年の感謝をささげたり、新年の無事や平安を祈願したりする行事。 昔から初詣は早い方がよいといわれており、元日が無理なら「三が日」、三が日を過ぎたら「松の内」に行くのが目安とされています。
我が家的には恒例である氏神様の「日置神社」にお参りし、自宅近くの「松山神社」。そして商売繁盛を願いって「豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)」へ‥
日置神社
日置神社(ひおきじんじゃ)は、愛知県名古屋市中区橘一丁目にある神社で、日置天神、日置八幡宮ともいわれます。熱田台地の高地、名古屋城下町の南限に鎮座する神社で。付近の本町通から北に名古屋城へ、南に熱田神宮へ通じています。
創建は不詳。延喜式の「尾張国愛智郡日置神社」にあたる。社名は暦を司る日置部に由来する。中世、山城国男山より八幡大神を勧請して合祀(京都東山五条北の若宮八幡宮とも)。
永禄3年(1560年)5月、織田信長が桶狭間の戦いへ出陣する折、早朝に清洲城を出て本社に到り、敦盛を舞って戦勝祈願を行い、軍勢の集結を待ってから熱田神宮へ向かったとされる。織田信長は戦勝後、報賽のため神域に松樹千本を植えた。これより千本松日置八幡宮と呼ばれる。
松山神社
松山神社の往古は松樹繁茂せる広大なる山林なり。因って松山神社といい、近世天道宮、天道社又は松山天道とも呼べり。創立年代不詳。大永年中羽前羽黒山の修験隆海之を再興し、守護すること三十余年二代鍐海の後社殿大に荒廃す。元和年中美濃久々利の修験秀恵重興し且つ寿命院を建立別当となる。以来藩主の命に依り祈願所となり、崇敬篤く元文三年五月、御紋付の挑燈を寄付せらる。
明治の初年村社に列し、別当を廃して祠掌を置く。祭神中央は天照皇大神、右は品陀別命、左は市杵島姫命なり、社殿は神殿、拝殿、神饌所、神楽殿、社務所あり、境内に加茂社、猿田彦社、天神社、秋葉社、津島社、福守稲荷社がる。
豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)
正式の寺号は妙厳寺(みょうごんじ)。詳しくは「円福山 豊川閣 妙厳寺」(えんぷくざん とよかわかく みょうごんじ)と称する寺院である。境内に祀られる秘仏「豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)」の稲穂を担いだ姿などから、一般には「豊川稲荷」の名で呼ばれるようになった。豊川稲荷は神社ではないものの、境内の参道には鳥居が立っている[1]。日本三大稲荷の1つとされる。
当寺の門前町は稲荷寿司発祥の地の一つとも言われており、周辺には稲荷寿司の店が並んでいる.